タバコ論  近くにある近隣環境への気付きから様々な環境へ:吸う側から「吸わない側」になった私の一つの視点

槍/涸沢の記事でも述べましたが、
エネルギーや自然環境を大切に思うためには、それだけを思っていてもうまくはいかないと思っています
森を大切に思うためには、そこにある木ばかりを思っていても恐らくうまくはいきません
ですが、
何かを一つでも思うことができるのであれば、他の多くのことも思うことができると思っています
多くのことに気付けば気付くほどそれらが繋がって、より良い何かが生まれるのだと思います
エネルギーや自然環境だけではなく、
社会環境、家庭環境、近隣環境など多くの環境に思いやりを持つことで、より良い方向へ向かっていけるのだと思います

多くの環境に対して思いやりを持つことは難しいような気もしますが、
何か一つの環境を思えるのであれば、他の環境に対しても思いやりを持つことはそう難しいことではない気がしています

そのため自然環境だけではなく、他の環境に関しても当サイトでは取り上げていこうと思います

「私には気付かずにやってきてしまったことがあります。」

早く気付いていれば何かが変わっていたかもしれません。
その思いからこの記事が、何かに気付くきっかけになれればと思い書き綴っていきます。

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あまり言いたくはない事実があります。

「私は愛煙家でした。」

そんな私がタバコをやめて以来、本当に勝手ながら今はタバコが大の苦手になっています。
当時の自分の喫煙には、今はもう罪の意識しかありません。

そんな自分がタバコに関して何かを語る権利はないと思い続けてきたのですが、
そこから目を背けていくことは自分の犯した罪から逃げているような気持ちもあり、身近にある大切な健康環境、そしていつまでもある近隣環境の問題としてここで取り上げようと思います。

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私はアメリカを自転車で旅していた時があります。
その時はまだ喫煙者でした。

そこで出会った数名のアメリカ人に

「お前、サイクリストなのにタバコを吸ってんのか!?」

のようなことを言われた記憶があります。
英語で言われたのでその真意は定かではなかったのですが、もっともだと思い苦笑いしかできませんでした。

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その当時で1箱 1000円以上するタバコを同時に2,3箱買った記憶もあります。

その銘柄は日本では一般的な値段、数百円で売られているものでした。
レジに出てきた金額を見てまさに目を疑いましたが結局買いました。

残念ながら当時の私にはタバコはなくてはならないものでした。

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また、
山でももちろん吸っていました。

人が完全にいない山行では気にはなりませんでしたが、山を始めた頃はタバコを吸っている私の周りに人もいました。

一度タバコをやめたときは、
「誰もいない山のテントでは吸ってok」というルールを作って、結局そこから元の喫煙者に戻ったこともあります。

当時は本気でやめる気などなかったのだと思います。

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そんな私が完全にタバコをやめてから数年が経ち、気付いたことがあります。
それは

タバコの煙は吸っている人には絶対に分からないところにまで必ず達していて、それによって人の健康環境、人の精神環境、そして身近な近隣環境を乱していた

ということでした。

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換気扇を止める、窓を閉める、窓に目張りをする、洗濯物をしまう、マスクをするなど必死に対処している近隣の人たちのもとへ、そして自分の家族の元へとその煙は流れ込んでいました。

その煙に毎日不快な思いをしている人、その行為に毎日憎しみや怒りを覚える人、その煙で毎日呼吸困難に陥っている人、その煙が病気の引き金になってしまった人たちなどいたのかもしれません。

どれだけの不快な思いをさせ、どれだけの怒りを買い、どれだけの平和を乱していたのでしょうか。
その煙、その行為で様々なことが起きていたことに当時気付くことができませんでした。

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喫煙者本人ですら嫌だと思うタバコの煙を、
もっと嫌だと感じる「タバコを吸わない人」がいるところへばら撒いていました。
自分が吸いたい時に、吸いたいだけ吸って

さらに悪いことには、
「タバコの先から出る煙(副流煙)には、喫煙者本人が吸う煙(主流煙)自体よりも多くの有害物質が含まれている。

その事実は知っていたはずですが、副流煙への意識は極めて小さく、
それは何とも無責任なマナーであったことかと思います。

「体に悪い、臭い、けむい、目にしみる、汚れる、匂いがつく、家族が嫌がる」など
自分に不都合な理由があるから窓を開けたり外でタバコを吸っていました。

そして、
外に巻き散らしたその「自分が被りたくない不都合」の行き先は、
自分以外の人の健康や近隣の環境だったということにようやく気付きました。

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そこには赤ちゃん、子供、妊婦さん、肺が強くない人、健康に気を付けている人、そして動物たちも含まれていたかと思います。

周知の事実のようにタバコの匂いはタバコの先からだけではなく、
吸っている人の衣類から発せられる匂い、吸っている人の口や体から発せられる匂い、車や部屋に染み付いている匂いなどがあり、
それらは凄まじく強烈で苦しいものだったということも吸わない側の人間になって痛感したことでした。

若かったから許される、気付いていなかったから許されると思ってはいません。
また反省すれば済むことだとも思ってはいません。
当時のタバコに関する数々の自分の行為に最悪な気持ちになりますが、向き合っていかなければいけないと思っています。
自分のその行為でより最悪な気持ちをされた人たちが必ず存在していること、深く反省しています。

喫煙者だった当時の私は気付く意識が全く足りていませんでした。

日常の行い、公共の場での振舞い、山や旅での行動など一つ一つを、より一層意識していこうと思います。
当たり前にしていた行動に目を向けて、何かに気付こうとする意識をより強く持っていこうと思います。

吸う側から「吸わない側」の人間になったことでの一つの視点が何かになれればと思っています。

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私は近しい人間をガンで亡くしています。
その数ある要因のうちの1つには私の喫煙による煙も含まれていると思っています。

また、近しい人間を肺ガンで亡くしています。
その苦しそうな光景を一生忘れることはありません。

因果応報というものなのでしょう。

今現在私は近隣のタバコの煙によって苦しんでいます。
気管が弱かったようでその都度呼吸が苦しくなっています。

色々手は尽くしているのですが、煙の流入を防ぐために自宅を完全に密閉するということは不可能だったと分かりました。
そして、
幼少期にあった喘息が、ここで再発したのだろうと医師より告げられました。

タバコの煙は、タバコを吸わない人間にはこんなにも苦しく辛いものでした。

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また、
忘れがちなところにタバコの問題は「煙」に加え「火気」についてもあります。

現実として、
火災の可能性がある排水溝へのポイ捨てや車から道路へのポイ捨て、山やキャンプ場への残置、
事故になりかねない子供の側での喫煙、そして歩きタバコなどをする人がどうしても存在します。
「喫煙者はマナーが悪い」
そう思われるのは仕方がないとどこかで分かっていながらも、そうは思われたくない気持ちはどこかにあり、
自分は灰は落とさない、ポイ捨てはしない、人のいるところでは吸わない、風向きは考えるなどマナーを携行しているつもりでしたが、喫煙者が考えられるレベルなどたかが知れていたと今は正直思います。

仮に喫煙者がいくら煙の先まで考えようとも、非喫煙者は煙の先々を感じます。
その「非喫煙者が感じる煙の先々」まで喫煙者が考える、感じることは不可能だと思っています。
タバコを吸っている人間はタバコを吸うことをやめない限り、その域に到達することは絶対にできないと思っています。

タバコを吸わない人が言う意見は本当に貴重だったと今は思います。

私がタバコをやめた理由はいろいろありますが、その内の一つに
タバコを吸う私は迷惑」ということを強く感じるようになり、それが日に日に重くのしかかってきて私はタバコをやめました。

「私は違う」といくら思っていたところで、喫煙者イコール「マナーが悪い」「マナーが足りない」というようにどうしても見られます。
今振り返れば、当時のその「私は違う」という意識も本当に素晴らしい勘違いだったと思います。
それはあくまで「喫煙者の中では」という狭い視野でのちっぽけな意識でした。

喫煙時代後期は、
周囲には民家もなく人もいないところで吸うようにしていましたが、それでも時折人が通られる時は本当に申し訳ない気持ちに苛まれていました。
雨だろうと寒かろうと何だろうと必ずそこまで行ってタバコを吸う。
喫煙者の私本人ですら「そこまでして吸いたいのか」という気持ちになる時も多々あったので、タバコを吸わない人にとってしてみたら全く理解のできない行動だったと思います。

喫煙場所を探し求め、人目を気にしてタバコを吸う。
タバコを吸うことでストレスを解消していたつもりが、実はストレスを溜めていたことに結局はなりました。
ストレスをためて、人の健康を壊して、自分の寿命も縮めて、迷惑がられ、恨まれ、金はかかり、体力は落ち、だるくなり、臭くなり、汚れる。
本当にろくなことはなかったのですね。

「恨まれ」というのは推測の範囲ですが、どこかでそのような感情を抱いていた人が必ずいると思っています。

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平和な近隣環境のためにシンプルに、禁煙マンション、禁煙アパートなどが増えたらと思います。
また、
禁煙地域、禁煙都市なども合わせて「禁煙と喫煙を今よりもっと明確に」分けられれば良いと思います。

タバコを吸う人だけが住むタバコマンション、タバコアパートというのを敢えて作るのも一つかもしれません。

そのような物件があった場合、そこに住みたがる喫煙者はどれだけいるでしょうか。
また、
そこに住むことを拒む喫煙者は、何が拒む理由なのでしょうか。
それは臭いからなのか、健康に悪そうだからなのか、または火事が起きやすそうだからなのか。

喫煙者だった当時の私が考えても、そこに住むことは間違いなく拒んだと思います。

気兼ね少なくタバコを吸える反面、好まない部分は実際あるかと思います。
そして、
その喫煙者自身が好まない部分を、今も近くの非喫煙者が被っているかもしれません。

喫煙者と非喫煙者が混在している現状の多くの集合住宅や住宅地で考えれば、
例えば、
喫煙の時間と場所を決めて、その時間は煙を拒みたい人は窓等を完全 close して対応するという方法も一つかもしれません。
完全 close しても必ず煙は入ってくることを痛感しましたが、まだお互いが譲り合った形として何か救われるような気がします。

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また、
健康に悪いと実証されている上、様々なトラブルが後を絶たないタバコというものがいつまでも売られていることに正直疑問は感じます。
単純に見て、
医師不足、病室不足と言っているにも関わらずそれに追い討ちをかけていることにもなっています。

タバコに関するマナーやしっかりとした分煙など、喫煙に関する根本的な部分について今よりはるかに真剣に考えなければ、
どんなタバコを開発しようともこのような無駄とも思われる論争が永遠に続くと思っています。

「タバコ 1箱2000円」

それでも当時の私だったら買っていたと思います。

しかし私にとってタバコは、
多くの後ろめたさの中でも吸い続けたいと思うほどのものではありませんでした。
自分のことより周りのことに関する理由が強かったためか、私は簡単にタバコをやめられました。

健康に悪いと知っていながら誰しもがタバコを吸っているとは思うので、それを今更「自分の健康のためにやめる」という理由では実際にやめることは難しい気がします。
もしやめたい方がいるのであれば、
「自分の煙によって多くの人たちが苦しんでいる、『自分は迷惑』」と思い始めるのが大きな一歩になるような気がします。
他に一つでも何かを思いやれる人であれば、この気付きでやめることができると思います。

悪質な煽り運転を人のマナーで抑制することができないので、ドライブレコーダーが普及したのだと思っています。
マナーや思いやりを向上させることは至難の技です。
それができたらこれから来る数々の危機も大きく姿を変えられると思います。

曖昧にしてきた問題が世の中には無数にあります。
数々の危機が迫っている今、
それを一つ一つ解決していく時間はもう残されていないと思う部分も正直あります。
ですが、
一つ一つやらなければならないと思っています。
それが遠いようで、一番の近道のような気がしています。

多くのこと、多くの環境に思いやりを持っていこうと思います。
そしてそれが、
エネルギーや自然環境を思うことにもつながり、数々の危機のために今すぐできることの一つだと私は思っています。

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最後に、
これは私のことを知っている知人たちに向けて言わせてもらいます。
タバコをやめることを心からおすすめします

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多くの反省とともに前を向いて、引き続き様々な環境問題を考えていこうと思います。

※2020年2月24日 追記

新型タバコと呼ばれている加熱式タバコや電子タバコなどへの怖さを感じました。

私は当時そのようなものを吸った事はなかったので深く考えたことはなかったのですが、
これらは一般的な紙巻きタバコより「何か良いもの」として世の中に普及している感覚を受けています。

先に述べたように私は2020年2月に喘息と診断され、現在吸入器を使用しています。
過去の私の喫煙もその要因になっているとは思うのですが、
呼吸がおかしくなり病院に行くきっかけとなったのは、私がタバコをやめて数年後の、近隣からのタバコの煙によってだったことは間違いありません。

毎朝6時から8時くらいの間に必ずベランダか換気扇等で喫煙されている方が近隣にいました。
換気扇の出口はベランダ側なのでエリアとしては同じ括りとなるのですが、そのベランダ側からの強いタバコの匂いによって自分の世帯への煙の流入がすぐに分かっていました。
そしてそれと同時に肺が詰まるような息苦しさに襲われていました。

そんな中、ある時からその強い匂いはなくなり「何かに気付いてくれたのか」「タバコをやめられたのか」と嬉しく思っていたのですが、
同時間帯での私の呼吸異常は治ることはなく続いていました。
何かの化学物質過敏症になったのか、どこかにアレルゲンでもあるのか、新しいタバコに変えたのか、ただの神経質なのか何なのか。
色々と考え続ける日々でした。

(ここからは推測でしか言う事はできませんが続けます)

ある時、
その喫煙者さんが夜に外でタバコを吸ってる光景を偶然目にしたのですが、それは新型タバコなるものだったと思います。
ボディのところが青く光っていたのでそう思いました。

これが私の呼吸に支障をきたす変わらない原因だったと思っています。
これの怖いところに、
私の世帯との距離感での話ですが「匂いを全く感じない」というところが厄介なことにあります。
これまでは強いタバコの匂いですぐに分かったものが、新型では分からない

私は嗅覚が鋭い方だと思っているのですが、
私が呼吸困難を感じる時、正直何も匂いを感じません。
その時に同室にいる人間に聞いてみても匂いは全く感じていない。
ですが、炎症を起こしている私の肺だけは感じている。反応を示している。

下手にこんな言葉を選んでも安っぽくにしか聞こえないのですが、
何かが「良い」とされている新型タバコというものは、
疾患を抱えている私にとっては、
ただの目に見えない、匂いもしない新しい化学兵器以外の何者でもありませんでした。

外を出歩いている時の、タバコの存在を感じずとも時折現れる呼吸障害についてもこれである程度納得できた気がします。
もちろん、有害な物質など無数に存在するわけなので紙巻きタバコの煙、新型タバコの見えない何かだけではないとは思っていますが、
最近の私の炎症を起こしている肺が反応するのは、この新型タバコの「見えない何か」だと思います。

新型タバコに関してはこれまでの紙巻きタバコのような長い研究データが存在しないのでこれからどういった大きな有害性が出てくるか分かりませんが、
何か良いものと思わせるようなメーカーの売り出し方には正直疑問を感じます。
タバコの問題の根本はそこではないと思います。

「有害成分の低減」

それを威力に例えれば、
これまでの紙巻きタバコが核爆弾としたら、新型タバコはミサイルというところでしょうか。
低減という言葉に油断が生まれますが、それらは破壊兵器には変わらないと思います。

まだ体にはいいだろう、
まだ匂いは少ないからいいだろう、
まだ煙は出ないからいいだろう、
そんなに人に迷惑がかからないからいいだろう、
これでやめられるだろう。
新型タバコというものを吸う人の気持ちを私は直接本人から聞いたことがないので分かりませんがそのような感じなのでしょうか。

いずれにせよ、新型タバコというものは
これまでのタバコの問題をただボカしただけのもの、ただ誤魔化しているだけのものに過ぎないような気がしています。
これまでのように喫煙者が気付けない煙の先々を、余計に気付かさせなくするものだと思っています。

低減されようと何だろうと有害性のあるものには変わりはなく、
メーカーのいう表立ったデータに隠れているかもしれないこれまでの紙巻きタバコにはなかった物質による新しい危険性等にも気を付けなければならないと思います。

新型タバコによってこれまでのタバコのように誰しもがわかるような煙や匂いは緩和されたのかもしれません。
しかし、
今の私のように、何か疾患がある人間はそれなりに気付くことができると思うのですが、
特に疾患のない人は「新型タバコによって今度は気付かないうちに有害物質を吸わされている可能性がある」ということだと思っています。

何かが違う方向に進んでいる気がします。

(私の肺から感じる推測の話しでした)